よく知られるルツの物語です。日本人女性にも「るつ」「るつこ」と言う名前を持つ人たちがあるのはルツが素敵な女性だったからでしょう。彼女はモアブ人でした。イスラエルからすると異邦人です。
旧約聖書の「ルツ記」にはこのモアブの女性がなぜダビデ王の曾祖母となったのか、その経緯が丁寧に書かれています。彼女は若くして夫を亡くすという悲嘆の極みを経験しなければなりませんでしたが、幸いにも賢く情け深く何よりイスラエルの神さまへの信仰に篤い姑ナオミに出会うことが出来ました。
人は『出会うべき人とは必ず出会う(「トンカチと花将軍」の一節)』のですね。彼女たちが出会ったのは神さまの仕業に違いありません(恐らく)。嫁姑二人の寡婦が心を合わせて大胆な行動に出た結果大きな祝福を頂くことが出来たと「ルツ記」は証言しています。
ある時代まで日本では「嫁姑」といえば「確執」が定番でした。最初から最後まで良い人、優しい人しか登場しない「ルツ記」はその年代の人々にとっては刺激に欠ける物語かも知れません。教会でも「嫁姑」はこうあるべきとの諭しの意味で「ルツ記」が語られていたかも知れません。今だとハラスメント問題に発展しそう…。
またルツ記には「神さまご自身の言葉が1つも記されていない」とも言われます。だからこの物語は聖書には相応しくないのでしょうか。神さまの言葉を数える前にルツ記の人々の言葉を吟味してみましょう。彼らほど祈りや感謝の言葉を口にしているかどうか、逆に私たちが問われます。